果物の王様

 
夫の叔父の家にご挨拶に行った。
家族全員が出迎えてくれて、暖かくもてなされた。
関東郊外の住宅地にありながら、その家は大家族でおおらかな、近所の人たちがいつでも遊びに来ているような「昔ながらの田舎の良さ」が残る家だった。
大きなちゃぶ台の上にはおばさんたちの手作りのごちそうが所狭しと並べられ、お酒も入ったせいか初対面の緊張も解け、和やかな雰囲気で宴はすすんでいた。
そこで、夫のいとこであるユミちゃんが言った。
「このあと、デザートもあるからね。ドリアン買ってあるのよ。」
(えっ )
私は凍りついた。
ドリアンといえば、あの悪名高い、強烈な悪臭を放つ南国のフルーツドリアンだ。
しかし私の顔のひきつりに誰も気づくことなく、話題はドリアンに移る。

叔父さん「おまえたちが来るっていうからさ、車で市場までわざわざ買いに行ったんだよ」
おばさん「そうなのよ、一番大きいやつ買ってきたのよ。」
ユミちゃん「果物の王様って前から聞いてたから、どんなのか一度食べてみたかったのよう」
ああ!この人たちはドリアンがどんな果物だか知らないのだ!
その強烈な臭さゆえに、シンガポールなどではホテルや地下鉄でドリアン持ち込みが禁止されているほどなのに!!
(ドリアンは臭いんですよ!皆さん、お願いです!ドリアンは臭いんです!お願いです!)
私は声にならない心の叫びを繰り返していたが、私たちを歓迎するあまりにワザワザ遠い市場まで「果物の王様」を買いに行ってくださった親戚のご好意に水をさすことが出来るはずはなかった。
そうとは知らずみんなは依然として「初めて食べる果物の王様ドリアン」に対する期待が募るばかり。
夫はといえば、やはり知らないらしく、何の変わった様子もなくお酒を飲んで話を続けている

盛り上がる会話にとりあえず笑顔であいづちを打ちながら、心の中では過去における強烈なドリアン体験が走馬灯のように甦る。

ドリアンとの初めての出会い。
それは友人の家に友達数人で集まったときのこと。誰かがウケねらいでマレーシアみやげのドリアンケーキとやらを持ってきた。見た目はういろうのような感じで、ビニールで密封されている。それを人数分にカットしてふるまわれた瞬間に「嗅ぎ覚えのあるような」悪臭が鼻をついた。
初めて嗅いだその臭い。
下手に「嗅ぎ覚えがある」というところがポイントである。
本当に汚い話で恐縮なのだが、それは人間の排泄物の臭いにも似て、それでいて腐った食べ物の匂いにも似ている。だからこそよけいに、我慢ならないのである。
しかし、それは友達同士の集いであり、「ドリアンは臭いのだ」ということを全員が知っていた上での冗談で、当然誰も完食するつもりはなかった。

次のドリアン経験。
中国圏の国では新月の時季にのみ月餅が製造、販売される。本場の月餅は、日本の中華街で買ったものとは異なり、味も濃くリッチでおいしいのだ。(その濃厚さゆえに苦手な日本人も多いようだけれど。)
海外の友達からおみやげでもらったという会社の同僚が、月餅好きな私のために、わざわざ持って来てくれたのだった。大喜びで、早速食べようとビニールの包装を解いたとたんに、むわあと湧き上がる悪臭。
一瞬、腐っているのだと思った。
しかし、次の瞬間に事を理解した。包装紙に「ドリアン・ムーンケーキ(月餅)」と書いてあるではないか。
嗚呼!やられた!
一応頂いた手前、くれた人にはお礼を言ったが、それでも私は家に持ち帰ることなく、そのドリアン月餅を全部会社の給湯室のごみ箱にこっそりと捨てた。
自宅に持ち帰ることが出来ようか?
腐臭の漂う代物を?

そして今私は、その「果物の王様」を、加工食品でなく、本物のまま食す機会に恵まれたのだ。
そうだ。思えば本物をいただいたことはなかった。
これも一生に一度あるかないかの体験だ。
こうなったら頂くしかない。
ついに私は、腹を据えた。

やがて、運命の時は来た。
カットされたドリアンは、ひとりずつガラスのお皿に盛られ、全員に配られた。
すでに異様な臭いが漂い始めているが、本物のそれは、腐った臭いというより、ガスの臭いに似ている。
バンジージャンプか、ドリアンか。
「はっ」
心の中で掛け声をかけると、私はフォークですくった一口を思いきり食す。
まわりを見ると、食べ始めたみんなは、一瞬無言になり、次の瞬間に、誰もが顔をしかめ、口々に声があがる。
「ぐえっ」
「おえっ」
「ひぃぃぃぃ」
悲鳴、怒号が飛ぶ中、誰かが口を押さえたまま立ちあがり、洗面所に駆け込む。
数人があとに続く。
小さな子供たちは次々に泣き出して、まさにその場は騒然となり、パニック状態と化す。
やがて異様な臭いが広い居間全体に充満し、その場に残った人たちが急いで居間の窓を慌しく開けて回った。

(だあから言ったのに…・)

私はといえば、意外と平気だった。
ケーキやらお菓子やらに加工されたドリアンに比べると、本物の臭いはどういうわけかまだ控えめだったのだ。
しかし気の毒だったのは、臭いとは知らずに食べた叔父さん一家だった。
みんなが口をゆすいだりしてとりあえず騒ぎが沈静化すると今度は、そもそもドリアンを買おうと言った、いいだしっぺの叔父さんがみんなに責められることになった。
叔父さんは責任をとるべく、ひとりで「ああおいしい」といいながら半ば意地になり、いつまでもドリアンを食べつづけた。

私は思った。
この人たちに暖かく歓迎していただいた今日の日のことは、生ドリアンをいただいた強烈な思い出とともにずっと忘れないだろう。
いつでもどこでも、無理やり話題の中心になるドリアン。
果たして、「果物の王様」という異名は、そこから来ているのではないだろうか。


2004年8月

 
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